2.一次レスキュー(海と貝の ミュージアム)

                 



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名勝高田松 原の海岸線から約300mの地点に位置する海と貝のミュージアムも大津波に建物のほとんどが飲み込まれました。周囲は流れ着いた住宅やがれきで 覆われました。


               

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エントランス
博物館の玄関ロビーには、津波によって流されてきた住宅の屋根が入り込んでいました。

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博物館と比較して、海に近かった分、がれきの流入量が少なかったようですが・・・。
               
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貝たちの部屋(2階)

さまざまな貝を展示していた部屋です。津波の勢いは巨大で、3台あった大きな三角形の展示ケースのうち2台は館外に流失し てしまいました。残った一台は強化ガラスが割れなかったため、ケース内の標本は奇跡的に無事に全てが回収できました。写真には写っていませんが、天井の 「はり」には浮いた展示ケースが引っかかっていました。



               

 
 
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  研究者の部屋
鳥羽源藏・千葉蘭児先生の研究業績を紹介する展示室です。幸運なことに、貴重な標本の多くは流失を免れて回収されました。
     

標本回収作業
 岩手県立博物館、遠野市立博物館等の学芸員の皆さんの御協力によって半数以上の標本が回収できました。

 

 
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大きな被害を受けた収蔵庫
収蔵庫に窓があったため、多くの標本が流失してしまいました。収蔵庫の構造と、資料の流失は、市立博物館と大きく異なった点といえます。

     

発見の部屋
三陸の海の魚たちが飼育されていた水槽は、見る影もありません。ツチクジラのつっちいは、奇跡的に傷も少なく残っていました。

   
     

ツチクジラの「つっちい」救出大作戦

 
   ツチクジラの「つっちい」は、海と貝のミュージアム の被災資料レスキュー活動のなかで一番頭をなやませた資料でした。

 全長9.7m、重さ500kgの体は、津波を受け表面の樹脂コーティングが割れて海水が浸入したことで、600kgにもなっていまし た。

 「つっちい」は、かつて国立科学博物館所蔵だったものが、陸前高田へ送られたものであったことから、この博物館の山田格先生に「つっ ちい」救出を相談したところ、この作戦を開始して頂くことができました。

 国立科学博物館、自衛隊の皆さん、県内の博物館関係者が協力してくださり、5月29日には移送準備が整えられ、6月29日には陸前高 田から見送られながら、茨城県にある収蔵庫に旅立って行きました。

 いつか、陸前高田に博物館が復活した時には、再び帰ってくることを約束しながら・・・。

 
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  「つっちい」移送のための準 備(5月29日)。  
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  国立科学博物館筑波収蔵庫へ 旅立つ「つっちい」(6月29日)
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 鳥羽源藏先生の銅像は、本来あった場所から約250mも 内陸に流されていました。

 大人が二人でやっと持ち上がるような重い銅像が、津波の力で台座から引き外され流されてしまったのです。

 この銅像が流れた場所にお家と仕事場があった方が、生活もまだ安定しない頃にこの銅像を発見し。瓦礫からより分けて泥を洗い流してくれていたそうです。 本当に有り難いことです。

 震災から2ヶ月程経った頃、陸前高田市民の方々の間でこの銅像がインターネット上の話題となり、学芸員の熊谷に連絡が届き、回収することができました。 この写真は、回収直前の様子です。

 現在、この銅像は無事に仮の収蔵庫に運ばれ、博物館の復興作業を見守ってくれるように見晴らしの良い階段の途中に鎮座されています。

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