遺跡・博物館のアルバム
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動物考古学研究会岡山大会(2003年11月、左上岡山県灘崎町彦崎 貝塚での集合写真、それ以外は岡山市埋蔵文化財センター)
 動物考古学の研究に興味を持つ人々の集まりです。会員には研究者も一般の方も学生もいます。研究会は「動物・・・」と銘打っていますが、この会を立ち上 げられた西本豊弘先生は当初より「環境考古学」に意識を持った人々が集えるような会にしたいとおっしゃっていたので、会誌『動物考古学』には植物や民族学 の話題もとりあげられています。右と下2列の写真は、岡嶋さんが腕をふるって江戸時代のマダイの解体法をいくつか復元している様子です。岡嶋さんが包丁を 叩くように扱うとみんなびっくり。ちゃんとしたまな板だったらもっと力を出すそうです。料理は料理人と素材との格闘技のようですね。研究者達も興味津々で のぞいたり写真をとったり・・・・。
 いろんな人が共通の話題で楽しめ、研究者が知ったかぶりして偉ぶらない点が動物考古学の良い所かもしれませんね。

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琵琶湖博物館中庭方向より(滋賀県 2003年)
 理系学生におすすめの館です。理系の題材が、通にしかわからない難しいものではなく、エンターテイメントとしても楽しめるものなのだと、あらためて確認 できる博物館です。こんな博物館が全国に増えれば理系離れも止まるのではないでしょうか。博物館は教育のインフラストラクチャー(基層構造)だと再確認さ せる館です。
 館員は専門性が高い方がいる一方、専門的な展示に終始せず、見学者本意の工夫が払われている点が注目されます。ほとんどの展示物をしょうがい者の方やお 年を召した方、お子さんまで、理解しやすく楽しめるように工夫がなされている館です。
 レストランは、琵琶湖らしく淡水魚のメニューがあります。味覚でも琵琶湖を味わえるわけです。粋な趣向ですよね。右はそのレストランでの食事風景です。 左が私、箸で持ち上げているのが淡水魚の天ぷらです。右がベトナム考古学院のNguyen Kim Dung博士です。先生の専門が先史時代なので、粟津湖底遺跡の展示を見て頂きたくてご案内したときの写真です。
 水鳥がエサをとる様子が水槽で見ることができます。水中でのカイツブリの動きは見ものです。
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東北歴史博物館(宮城県:2004年)
 左はグラスハウス系の建物である東北歴史博物館です。空間の美が意識されているため、外部も内部も奥行きのある構成となっています。展示室に入ると一転 歴史資料がびっしりと展示されています。こちらの館も子供達が楽しめる展示の工夫がされていますが、大人用と子供用という区別が明確な展示室区分タイプで す。
 この一館で東北の歴史が総覧できる工夫がなされており、実物とレプリカを効果的に配置して、見学者の理解を図っています。観光で東北にはじめて行かれる 方には、最初に訪れて頂きたい場所です。
 右は「壷の碑」覆屋前での記念撮影です。この石碑は江戸時代以来、真贋論争が繰り広げられ、考古学の発達に役立った貴重な資料です。イギリスニュー キャッスル大学Geoff Bailey博士をご案内した時のスナップです。
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韓国忠北大学博物館(2002年)
 
韓国 の大学の多くに大学博物館が併設されており、貴重な資料が展示されています。この忠北大学の博物館も多くの資料が展示されているばかりか、前庭にも貴重な 石造物類が展示され、美しく整備されています。
 日本の大学博物館の整備状況は、海外の先進国と比較すると極めてお寒い状況です。当初東京大学が設立された時はハーバード大学の比較動物学博物館を参考 にしてエドワード・シルベスタ・モースにより博物館(博物場)が作られ、大森貝塚の出土資料や、学生達と教員が収集した動物標本等が展示され、公開された のですが、その美風は多くの大学へ受け継がれることはありませんでした。

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地底の森ミュージアム(2002年、宮城県仙台市)
 遺跡の真上に建てられた博物館。旧石器時代の遺物・遺構とそれを取り巻く樹木の遺体や大型のシカが落としていった糞、昆虫の遺存体 remain等が展示されています。入館すると出土資料の展示室と、広大な発掘区の一部を保存した実物展示室が広がります。実物展示室では何分おきかで旧 石器時代の復元映像がながされて見学者の理解を図っています。
   一般の方にも遺跡から出土する環境遺物(植物遺存体・花粉・昆虫・糞等)の重要性が理解しやすく提示されています。展示室の周囲には当時の植生に類似した 樹木が植えられています。あと20年もしたら鬱蒼とした森に育つのでしょうね。その時に地底の森ミュージアムらしい景観が完成することでしょう。動物考古 学研究者としては、シカをはじめとした動物がいたら面白いのですけどね。

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札幌市時計台(2001年、北海道札幌市)
 札幌の象徴的な建造物として広く知られビル街の一角に残されていますが、中には展示室が設けられ、時計台の歴史や時計のムーブメントの機 構が理解できる博物館にもなっています。さらには、二階のフロアは申し込みをすると集会所的に利用できるそうで、私の大学の後輩のF氏はここで結婚式をあ げました。夜でさえ観光客や酔客が立ち寄るモニュメンタルな建造物ですね。
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ベトナム水田地帯の風景
(2002年、ハノイ北部)
 左の写真はスイギュウをつれている農家の方、後ろの植物はキャッサバかな?このあたりの土壌は本当に真っ赤です。右は水田の風景です。ス イギュウやウシは従順にヒトにくっついて動きますが、我々発掘隊の異様な雰囲気がわかるのでしょうか、近づくとできるだけ距離を保とうとして時には道をそ れてしまいます。このように家畜とともに自然をコントロールして生活することが、ヒトの本来の姿なのだと、感じさせる世界でした。我々は共同研究調査を名 目に特別にベトナム政府に許可を得てこの地域に滞在しました。日本の一般の方がこのような農村の生活にどっぷり浸るのは困難なのかな?このあたりの農村の 食事は、日本人の口にとてもあいます。味覚のツボが似ているのでしょうね、日本から持っていった醤油はもちろん、キューピーマヨネーズもベトナムの子供達 に大評判でした。
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赤田東遺跡(2002年5月、岡山県岡山市)
 岡山の有名な国史跡幡多廃寺のそばで発掘された遺跡の現地説明会風景です。説明会も終盤にさしかかったので、見学者もいささかお疲れ気味。お話になって いる岡山市のK氏はいくらお話していても元気でした。右側の若い学 生諸君は岡山理大生です。ここからもウマやイヌの遺存体が出土しました。
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群馬県綿貫観音山古墳(古墳時代、2003年撮影)

 きれいに整備された前方後円墳。前方部側から斜めに見た様子。横穴式石室も見られます。このように美しく整備されると、古墳の様子もわかりやすいです し、子供達でさえ文化財の美しさ重要さがすぐに理解できます。また、整備には土木業の技術や施行も必要ですし、造園業による維持も必要になります。さらに 災害があった場合には避難所にもなります。住宅密集地では万が一の火災の際に延焼を食い止める緩衝地帯となります。子供達には歴史・郷土を学ぶ貴重な教材 になりますし、大人にとっても思索・散策の場となります。また、地域のアイデンティティーを示すランドマーク(大きな目印)の役割も持ちます。遺跡公園 は、単に考古学者のものではなく、多様な意味で市民にとっての社会基盤なのです。
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岡山理科大学の構内遺跡:(縄文時代後期〜江 戸時代、津島東遺跡土生地区)
 発掘終了後、埋め戻しの直前に大雨が降って池になってしまった遺跡の写真です。土生という名前で御推察される方もいらっしゃるかもしれませんが、極めて 優良な粘土がとれる場所に形成された遺跡で、古代の粘土採掘穴が検出されました。毎日がんばって発掘している時には、天気の変化が気になります。発掘期間 の最後の頃は土日も休まずに働いて、雨の日にも工夫して出来る作業をして、発掘計画が遅れないようにします。それでも大雨の場合はどうしようもありませ ん。天気予報の動向をこまめにチェックしながら、発掘計画を変更し、作業人員を配置する工夫が必要になります。この発掘の時も、どうにか当初の発掘計画の 期限に間に合わせ、大雨が降る直前に発掘を終了しました。
 発掘の後半には遺物がでない層もぶち抜いて、できるだけ深く掘って、その遺跡の地史学的背景も考察したます。そんな掘り方を「深っぽり」と呼びます。私 も23歳頃まではよく深い穴の底でヘルメットをかぶって発掘しましたが、いまはぎっくり腰になりやすいので、屈強な理科大学の男子学生にお願いして掘って もらっています。彼らは、泥だらけになって、井戸のように水がわき出す地層を掘っていきます。考古学ではある意味の花形です。もう卒業しましたが、理科大 学の大学院を修了した河内君の掘りっぷりは目をみはるものでした。彼の掘りっぷりはまさに花形にふさわしいものでした。
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 現在はこの上に剣道場が建っています。大学は考古学を研究する場所でもありますが、このように遺跡の上を開発することも決して少なくあり ません。ですから、大学の考古学者は誠意を持って開発計画の段階から意見を出し、議論を闘わせ、発掘計画を設定したり、発掘中止の意見を出したりします。 その時の悩みは、まさにハムレット的です。「掘るべきか、掘らざるべきか」。この遺跡についても発掘終了後、掘り終わった発掘区の上であっても土盛りをし て、掘り終わった遺跡が痛まないよう主張し、計画もそのようにしてもらいました。浄化槽や基礎構造、下水管は地面に対してかなり深く設定せざるをえないの で、発掘終了面を痛まないようにするには、そのような土盛りが必要になります。
 この遺跡は既に知られていて遺跡地図にも登録されていたので、夏休みに調査を計画し、2ヶ月以上前に岡山市に所定の手続きをとり、遺跡保護の必要性を常 に意識しながら調査を実施しました。発掘に際しては、このような慎重な対応が求められます。発掘した後、「絶対破壊するんだ」と、思いこまないこと。遺跡 保護の可能性を模索することが学者には求められます。
 発掘の費用は加計学園岡山理科大学が責任を持って負担しました。このような費用負担のことを「原因者負担」と呼びます。このような負担をするのは、多く の場合企業や法人です。遺跡であっても、個人の方が畑や田んぼ、家を建てる際には、よほど独特な遺跡の場合や遺跡が痛みやすい場合、土盛り後に土地利用が 認められる方向にあります。勿論、浄化槽設定箇所等がある場合はその部分の立ち会い調査や発掘調査が実施される場合は多くあります。
 このように土地利用の権利が尊重されていることから、大変話題になった遺跡でも発掘後に発掘区の上に大きな施設が建設される場合もあります。飛鳥池工房 跡・酒船石遺跡の周辺も、発掘調査後、文教施設等の開発がおこなわれました。どの遺跡を残すか、といったことは、現代の我々だけで決める訳にはいきませ ん。ですからこのような遺跡の場合、下に埋もれる遺構が痛まないよう、土盛り工事や薬剤による保護工事が実施されます。建物が朽ちたり、リニューアルされ るまでの時間は、遺跡が残されてきた悠久の時間の流れに比較すれば、はかなく短いものです。未来の考古学者のためにも、将来発掘される可能性を維持しなが ら、遺跡の上に暮らしていく知恵を現代の我々は発揮していかなければならないでしょう。
 遺跡が大好きな方々から見れば、このような原則を意外に思われるかもしれません。私も大学に入った時に考古学を勉強しはじめて、この事実を知ってビック リしました。日本の法律は個人居住権や土地利用の権利を手厚く保護していますので、文化財保護法の行政上の傾向は当然と考えられるでしょう。
 ただし、開発中に資料が出土した場合は、担当市町村の教育委員会や最寄りの警察署に届ける義務があります。これを行わないと違法行為になります。特にそ れを無届けで自分のものにすると、盗掘と同様、窃盗罪になります。遺跡や遺物は破壊してしまえば二度と戻ってきません。いくら現代の進んだ科学をもってし ても、遺跡をつくることはできません。遺跡はオンリー・ワンなのです。御相談は、資料の出土した地元市町村の教育委員会までお願いします。

環境考古学研究室: 岡山理科大学総合情報学部 生物地球システム学科 富岡研究室

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