空罐
隨分前の事だが古稀を越えた婦人に、一體何を考へて居るのでせうね近頃の若い人達は、と問はれた事がある。朝刊かTVで未成年の呆れる樣な幼稚な事件が報道された折の樣に憶えて居る。其の人が、非常識に振舞ふ若者の多さを日常感じて居たからでもあらう。最近は一層酷くなつてゐるので、今頃は屹度開いた口が塞がらなくて困つてゐるに違ひない。愚輩は斯う答へた−何も考へてゐやしません。頭は空つぽ、腦味噌なんかないんですから。空のブリキ罐が風に吹かれて轉がつて誰かが怪我をしたとして、惡い事をしたと其のブリキ罐が反省しますか−。
勿論空つぽなのは思考する部分であつて、頭全部が空なのではない。其の方が寧ろ良い位だが殘念な事にすかすかの腦内を不機嫌と慾望の塊がふはふはと漂つてゐる。思考の空白部分を何とかして埋めて貰ひ不機嫌の風船を萎めて貰はねば周りの者が迷惑で叶はぬ。道を歩けば向ふから歩いてくる。買ひ物に行けば店内にうぢやうぢやとゐる。斯う云ふ輩から幾ら遠離らうとした處で其處此處にゐるのだからさうも行かぬ。厄介だ。
先頃、道端で落葉掻きをしてゐた人と立話をした。其の人の家は小山の麓にある。其の小山に高校があるので大勢の高校生が目の前の路を通る。彼等の態度が惡い。聲高に話す。煙草を吸ふ。塵芥を平氣で捨て吸殼を抛つ。冬場の乾燥期には物騷だから其家の主人も落葉掻きを怠らぬ。一度注意をしようかと思つたらしいが或る人の忠告を聞いて止めたと云ふ。忠告して呉れたのは警察官だ。逆恨みを受けて何をされるか判らぬから止めて置きなさいと云はれたのだ。十人中六、七人は小刀を持つてゐるからとも云はれてゐる。勿論小刀を持つてゐる者皆が危險人物ではあるまい。だが警察官が一般人に對して斯かる注意を與へるのだ。丸で逆である。世の中を良くするのは難しい。
驛中にある一寸した休憩處で喉を潤して居た。若い父親と七、八歳位の男の子が來て丸椅子に坐る。此の子がきちんと坐れない。膝を曲げて泥靴を椅子の上に乘せる。父親は何も言はずに己の茶を飮む。愚輩も一昔前なら輕く聲を掛けたかも知れぬが、當日は連もあつたし目出度い日でもあつたしするので躊躇つて注意しそびれた。別の日。通ひの齒醫者の待合に男子高校生がゐた。普段見ぬ顏である。これが先の幼兒竝の坐り方をする。呆れてゐたら傍に年輩の女が寄つて來て何やら話す。どうも母親らしい。くにゃくにゃした姿勢と不作法な態度を窘める樣子はない。此等の親子は、椅子は腰掛ける物で床では無いと云ふ事すら理解出來てゐないと見える。さう云へば昨今矢鱈と地べたに坐込む若者を其處此處で見掛けるが、此も只單に體力が無い許りでは無いのかも知れぬ。地面と椅子の區別がつかぬに違ひない。だが汚れると云ふ意識は無いのか。不思議である。
扨扨、身勝手が大手を振つて闊歩する昨今では餘りにも當り前の事−他者の存在を意識に上す事−を強調せねばならなくなつた。其の思ひは年々強くなつて弱まる事がない。併し空罐に其を説いても虚しい。下手をすると跳返つて此方が怪我をする。如何したら好いものか。ふむ。思考を司るのは言葉であるから何よりも此處は皆の協力を仰いで、ブリキ罐に喞筒で靜に言葉を注込むに如くは無い。だが加減が難しい。
2007年3月下旬 記